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芸どころと言われる理由

経済では元気のある名古屋も、こと文化の発信という点では他の都市と比べ、正直言って見劣りがします。

しかしその名古屋にもかつて「芸どころ」と呼ばれた時代がありました。

それはテレビドラマの「暴れん坊将軍」に登場する8代将軍徳川吉宗の時代の事です。

吉宗は幕府の財政を立て直す為に、江戸時代の三大改革のひとつ「享保の改革」で厳しい「倹約令」を発し、その中で武士とその家族の「芝居見物」などの遊興を禁止しました。

吉宗は町人の芝居見物までは禁止したわけではありませんが、当時の支配階級の武士に禁止されている芝居見物などを町人が堂々と出来るわけありませんね。

この厳しい倹約令の結果、江戸の芝居小屋やその他の大衆芸能はほぼ壊滅状態になり、当時の有名な歌舞伎俳優や芸人達も半失業状態になってしまいました。

当然、幕府の威光を恐れる外様大名達も国許で同じ事をしますので、日本全国で大衆芸能の火が消えてしまったわけです。

その時尾張藩主になったのが徳川宗春というお殿様です。

宗春はこの将軍吉宗の倹約令に反発し、尾張領内では大々的に芝居などの興行を奨励しました。

その背景には御三家筆頭の尾張からではなく、いわば格下の紀州から将軍が出た事への反発もあったと言われています。

ただいずれにせよ「尾張様の所へ行けば興行が出来る」という事で、日本中から半失業状態だった一流の役者や芸人達が争って名古屋へ集まって来ました。

当時名古屋に集まって来た役者や芸人達はもう必死です。

なにしろ名古屋の観客に受け入れてもらえず、興行が失敗に終わったら他には行く所が無いわけですから。

当然彼等は名古屋の観客の前で一世一代の全力投球の芸を演じました。

その様なレベルの高い芸に日常的に接した結果名古屋の観客の目は肥えて、それが名古屋は芸どころと言われるのに繋がりました。

しかしその宗春が財政破綻の責任を取る形で藩主の座を退いて隠居すると、宗春の時代にたくさん出来た芝居小屋も縮小され、名古屋は「芸どころ」という実体を伴わない、いわば虚名だけがひとり歩きをする様になりました。

今では口の悪い人に言わせると、名古屋は「文化不毛の地」だという事です。

こういう事を言われるのも名古屋は「芸どころ」の虚名に甘んじて、自ら進んで名古屋の文化を発信しようという積極性に欠けていたからだと思います。

経済だけでなく文化の発信地になる事が今後の名古屋の大きな課題ですね。