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日本史の中の名古屋

名古屋の地名はかって室町時代には名古屋ではなく、尾張の国の「那古野(なごや)」という地名でした。

この地名は今でも名古屋駅の近くに「那古野(なごの)」という地名で残っています。

その那古野が室町時代末期のいわゆる「戦国時代」と言われる時代に一躍有名になったのは、尾張生まれの武将織田信長の存在です。

最も歴史を見ると実際には織田信長は当時の那古野城にはほとんど住んでいなくて、若い頃は清洲城や小牧城、その後は主に岐阜城を本拠地としていた様ですね。

ただ当時の那古野を含む尾張半国の領主の長男として生まれた織田信長は、有名な「桶狭間の戦い」で駿河の太守今川義元を倒した後急速に勢力を伸ばし、京都に上ってもう少しで天下を統一する所まで行ったのですが、志半ばにして「本能寺の変」で倒れました。

しかし信長が倒れた後はその配下の武将だった、尾張の百姓あがりの羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が後を引き継ぎ、天下を統一しました。

その豊臣の天下も秀吉一代限りで終わり、その後はご存知の様に天下分け目の「関が原の戦い」で勝利した徳川家康が天下の主になりました。

この家康も愛知県の三河の岡崎出身です。

この3人が活躍した戦国時代というのはそれまでの政治と宗教が渾然一体になっていた中世から、政教分離によって封建領主が支配する近世への過渡期にあたります。

日本の歴史上重要な意味を持つこの激動の時代に、奇しくも現在の愛知県出身の3人がその主役になったわけですね。

ですから名古屋では今でもこの3人は「郷土三英傑」と呼ばれていて、毎年秋に行われる名古屋祭ではこの3人の武将とその家来に扮した鎧武者が、名古屋の目抜き通りを練り歩く「郷土英傑行列」というパレードが行われます。

このパレードにはそれぞれその時代を彩った女性たち、すなわち信長の妻の「濃姫」、秀吉の妻の「北の政所おね」と豊臣秀頼の母の「淀君」、それに家康の娘で豊臣秀頼の妻の「千姫」などが華やかな衣装の侍女たちと共にパレードを盛り上げます。

ちなみにこの歴史に登場する女性たちの役は、例年名古屋市内にある三つのデパートの女性店員が扮する事になっています。