名古屋の街並み
名古屋の街並みと言えば全国的によく知られているのが道路の立派な事。
実際に名古屋の街を通る幹線道路では道幅50mの道路は当り前で、中には道幅が100mもある「100m道路」と呼ばれている道路も名古屋の中心部を貫いて走っています。
名古屋の道路が日本の都市の中で飛び抜けて立派なのは、終戦時の焼け野が原の時に当時の名古屋市長が焼け跡にバラックが建つ前にいち早く道路網を作ったからだと言われています。
戦前の名古屋は今と同じく中部工業地帯の中心都市で、とりわけ航空産業が集中する航空機生産のメッカでした。
戦時中の有名な日本の戦闘機「ゼロ戦」も名古屋の港区にある工場で開発されたものです。
それだけに戦時中の空襲の被害も大きく、終戦時には名古屋の街はほとんどが瓦礫の山で、名古屋城のシンボルの「金のしゃちほこ」も焼け落ちてしまいました。
その何も無い焼け野が原に当時の名古屋市長は、まず広い道路を作ってしまったわけですね。
現代人の感覚からすれば「先見の明があった」と誰もが褒めると思いますが、当時は「市民が住む家も無いというのに先に道路を作るとは何事か」だとか「こんな広い道路がなぜ必要なのか?道路に芋でも植えるつもりか」などと悪評サクサクだったそうです。
しかしその道路網は現在の車社会の中で立派に花開きました。
ただマイナスの問題もあります。
名古屋のドライバーは他府県へ行って交通事故を起こす、それも死亡事故の様な重大事故を起こす比率が高いと悪口を言われています。
それは名古屋の広い道路に慣れていて、同じ感覚で東京や大阪の狭い道路をぶっ飛ばすからだそうです。
又、名古屋は昔から「偉大なる田舎」だとか「灰色の街」などと言われ、何か地味で冴えないイメージが持たれていました。
それは東京や大阪、横浜、京都、神戸など日本の大都市をテーマにした歌謡曲は数限りなくあるのに、何故か名古屋をテーマにした歌謡曲はほとんど無い事からも分かりますね。
ただ名古屋はこの地味で冴えないイメージの所為か、いわゆる不動産バブルの影響も東京や大阪に比べるとあまり大きくありませんでした。
きっと不動産屋さんが名古屋は後廻しにしたのでしょうね。
その結果その後の大不況からの回復も、自動車や航空宇宙といった最先端産業の集積地という条件とも相まって各都市の中では一番早く、今では日本で一番元気のある街と言われています。
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